アンチ
2006年8月9日アンチと呼ばれる人がいる。
辞書によれば
名詞に付いて、反対・対抗・排斥などの意を表す。
要するに世間的に評価されているものに対し
オレは認めないぞというスタンスをとることであろう。
生き方は人それぞれなので
何を主張しようが構わないし
それなりに見識のある方、
もしくは、批判する対象と同レベル以上の
実績、才能、実力のある方のこういった意見であれば
(必ず説得力があるので←ここが重要)
読む方も興味深く読む事ができるから
案外嫌いではない。
その一部の例を除き
基本的にアンチである事でしか
自己主張できない人間は嫌いである。
なぜなら、出来上がったものにケチをつけるほど
楽な事はないからである。
別に、嫌いなものに対して嫌いと言うなとか
言っているわけではない。
人間である以上、好き嫌いは当然である。
しかし、それによって自分を主張するなと
言っているのである。
呆れ返るのは
その批評眼の鋭さを仲間内で褒めたたえ、
なにやら、自分達が妙に優秀と勘違いしている
人間がいる事である。
で、彼らの意見がそんなに素晴らしいかと思えば
なんの事はない、
狭い世間から導かれたデータと、
自分の主観と、感情論のオンパレードにすぎない。
そして、たどり着くのは自分への賛美である。
批判するなら、批判する対象への
最低限の知識はもっとけよと思うのに
それすらない事が往々にしてある。
いろはのいの字も知らずに
大上段から批判するわけである。
そうして、こんな人間に限って、
やたらろ自己主張が強いのである。
私は、オンラインで何人も
素晴らしいと思える人に会ったが
そんな人ほど、バカみたいに
「オレがオレが」としゃしゃり出て来ない。
もっとスマートで、紳士的だった。
自己主張の激しい人間は、
その、自己主張が激しさから、
自分よりすぐれたものが受け入れられないと考えられる。
自分に余裕がないから、
何でもかんでもに対して批判的になるのかもしれない。
前へ出たくても、中身がなくて出られないから
世間で認められているものが気に入らなくて、
アンチで自己主張するしかないと思われる。
なんども書いたが、ネガティブな言動は
余裕のなさからもたらされるものである。
自分に余裕があれば、隣が何をしてようが
気にならないのである。
まともな人間であれば
アンチなどという下らぬ活動に、
貴重な時間を費やさない。
言論の自由も結構だが、
自分が批評などできるほどの器かどうか、
それほどの人間かどうかを
わきまえる謙虚さも欲しいものだ。
むしろ、ケチをつけてる対象から
素直に何かを学んで欲しいぐらいである。
もちろん、プロで活動する以上
アンチの存在にも耐えなければいけない。
そう考えてみても、アンチの存在に耐えるプロの方が、
物陰に隠れアンチでしか自己主張できない、
『アマともよべないシロウト』よりは、
『人として』より大きく飛躍していく事には
かわりないだろう。
辞書によれば
名詞に付いて、反対・対抗・排斥などの意を表す。
要するに世間的に評価されているものに対し
オレは認めないぞというスタンスをとることであろう。
生き方は人それぞれなので
何を主張しようが構わないし
それなりに見識のある方、
もしくは、批判する対象と同レベル以上の
実績、才能、実力のある方のこういった意見であれば
(必ず説得力があるので←ここが重要)
読む方も興味深く読む事ができるから
案外嫌いではない。
その一部の例を除き
基本的にアンチである事でしか
自己主張できない人間は嫌いである。
なぜなら、出来上がったものにケチをつけるほど
楽な事はないからである。
別に、嫌いなものに対して嫌いと言うなとか
言っているわけではない。
人間である以上、好き嫌いは当然である。
しかし、それによって自分を主張するなと
言っているのである。
呆れ返るのは
その批評眼の鋭さを仲間内で褒めたたえ、
なにやら、自分達が妙に優秀と勘違いしている
人間がいる事である。
で、彼らの意見がそんなに素晴らしいかと思えば
なんの事はない、
狭い世間から導かれたデータと、
自分の主観と、感情論のオンパレードにすぎない。
そして、たどり着くのは自分への賛美である。
批判するなら、批判する対象への
最低限の知識はもっとけよと思うのに
それすらない事が往々にしてある。
いろはのいの字も知らずに
大上段から批判するわけである。
そうして、こんな人間に限って、
やたらろ自己主張が強いのである。
私は、オンラインで何人も
素晴らしいと思える人に会ったが
そんな人ほど、バカみたいに
「オレがオレが」としゃしゃり出て来ない。
もっとスマートで、紳士的だった。
自己主張の激しい人間は、
その、自己主張が激しさから、
自分よりすぐれたものが受け入れられないと考えられる。
自分に余裕がないから、
何でもかんでもに対して批判的になるのかもしれない。
前へ出たくても、中身がなくて出られないから
世間で認められているものが気に入らなくて、
アンチで自己主張するしかないと思われる。
なんども書いたが、ネガティブな言動は
余裕のなさからもたらされるものである。
自分に余裕があれば、隣が何をしてようが
気にならないのである。
まともな人間であれば
アンチなどという下らぬ活動に、
貴重な時間を費やさない。
言論の自由も結構だが、
自分が批評などできるほどの器かどうか、
それほどの人間かどうかを
わきまえる謙虚さも欲しいものだ。
むしろ、ケチをつけてる対象から
素直に何かを学んで欲しいぐらいである。
もちろん、プロで活動する以上
アンチの存在にも耐えなければいけない。
そう考えてみても、アンチの存在に耐えるプロの方が、
物陰に隠れアンチでしか自己主張できない、
『アマともよべないシロウト』よりは、
『人として』より大きく飛躍していく事には
かわりないだろう。
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